柔然とは?可汗・北魏・突厥との関係をストーリーで学ぶ【大学受験・世界史】

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歴史旅

柔然とは?鮮卑に代わって草原を支配した遊牧民族

柔然(じゅうぜん)は、高校世界史で「可汗(カガン)を最初に名乗った遊牧国家」として登場します。しかし、教科書では数行しか説明がなく、「鮮卑との違い」「北魏との戦い」「突厥との関係」が分かりにくいと感じる人も多いでしょう。

本記事では、柔然の歴史をストーリーで学び、その後に重要ポイントを整理します。

この記事を読めば、柔然から突厥へと続く歴史の流れを自然に理解できるようになります。

第1話

柔然とは?鮮卑に代わって草原を支配した遊牧民族

ゲームで学んだように、柔然(じゅうぜん)は鮮卑(せんぴ)のあとにモンゴル高原を支配した遊牧民族です。

高校世界史では、「可汗(カガン)を最初に名乗った民族」「北魏(ほくぎ)と対立した遊牧国家」「突厥(とっけつ)によって滅ぼされた民族」として登場します。

教科書では数行しか説明されないことも多いですが、柔然を理解すると、その後の突厥やモンゴル帝国まで続く北方民族の歴史が見えてきます。

まずはゲームで体験した内容を振り返りながら、柔然の歴史を整理していきましょう。


鮮卑が分裂すると柔然が台頭した

檀石槐(たんせきかい)の時代、鮮卑は草原最大の勢力となりました。

しかし、檀石槐が亡くなると鮮卑は再び多くの部族へ分裂します。

草原では強い勢力が弱まると、新しい民族が力を伸ばすことがよくあります。

その中から勢力を拡大したのが柔然でした。

歴史の流れを整理すると、次のようになります。

  • 匈奴が草原を支配する
  • 匈奴が衰退する
  • 鮮卑が草原を統一する
  • 鮮卑が分裂する
  • 柔然が新たな草原国家となる

このように、草原の支配者は時代ごとに交代していきました。


社崙が柔然をまとめた

柔然をまとめた人物が**社崙(しゃろん)**です。

当時の草原には多くの部族が暮らしていましたが、社崙はそれらをまとめ上げ、新しい遊牧国家を築きました。

受験で最も重要なのは、社崙が**「可汗(カガン)」**という称号を名乗ったことです。

可汗とは遊牧国家の君主を表す称号であり、その後の

  • 突厥
  • ウイグル
  • モンゴル

でも使われるようになります。

そのため、世界史では

「柔然=可汗」

という組み合わせは必ず覚えておきましょう。


柔然は北魏と長く戦った

柔然が勢力を広げると、中国北部を支配していた北魏と対立するようになります。

柔然は広い草原を馬で移動する遊牧国家です。

一方、北魏は都市を城壁で守る農耕国家でした。

ここで誤解しやすいのが、「中国は国全体が城壁で囲まれていた」というイメージです。

実際には、城壁があったのは都や地方都市であり、その外には農村や畑が広がっていました。

そのため、柔然の騎馬軍は国境を越えて侵入し、北魏軍は各地の城を拠点に迎え撃つという戦いが繰り返されました。

北魏の皇帝である**太武帝(たいぶてい)**は何度も柔然へ遠征しましたが、柔然は草原の奥へ退くため、一度の戦いで決着がつくことはありませんでした。


突厥はもともと柔然の支配下だった

世界史では突厥が突然登場するように感じることがあります。

しかし、実際には突厥は最初から大国だったわけではありません。

突厥は柔然の支配下にあり、鉄の採掘や武器・馬具の製造に優れた部族でした。

鉄を扱う技術によって軍事力を高めた突厥は、やがて柔然に従うだけではなく、自分たちが草原を支配したいと考えるようになります。

この流れを知っていると、柔然から突厥へ歴史がつながる理由がよく分かります。


柔然は突厥によって滅ぼされた

552年、突厥は柔然に反乱を起こし、これを滅ぼしました。

こうして草原の支配者は柔然から突厥へ交代します。

北方民族の歴史は、一つの民族が終わると次の民族が登場するという流れを繰り返しています。

  • 匈奴
  • 鮮卑
  • 柔然
  • 突厥

という順番は、世界史では非常に重要です。

柔然は長く続いた国家ではありませんが、「可汗」という称号を広め、突厥へ歴史をつないだ重要な遊牧国家として覚えておきましょう。