突厥とは?可汗・シルクロード・唐との戦いをストーリーでわかりやすく学ぶ
突厥(とっけつ)は、552年に建国され、モンゴル高原から中央アジアまで広がる大帝国を築いた遊牧民族です。柔然(じゅうぜん)を滅ぼして草原の支配者となり、シルクロードを掌握して東西交易を支配しました。また、中国の隋(ずい)・唐(とう)やビザンツ帝国とも関わり、世界史に大きな影響を与えた民族として知られています。
一方で、「突厥とはどんな民族なの?」「可汗(かがん)とは何?」「東突厥と西突厥の違いは?」「第二突厥やオルホン碑文って何?」と疑問に思う人も多いのではないでしょうか。
この記事では、ストーリー形式で突厥の歴史をたどりながら、受験で重要なポイントをわかりやすく解説します。
この記事で学べる内容は次のとおりです。
| 学べる内容 | ポイント |
|---|---|
| 突厥の建国 | ブミン可汗(かがん)が柔然から独立した経緯 |
| 世界帝国への発展 | シルクロード支配とビザンツ帝国との同盟 |
| 東西分裂 | 東突厥・西突厥に分かれた理由 |
| 唐との戦い | 太宗(たいそう)【李世民(りせいみん)】による東突厥滅亡と天可汗(てんかがん) |
| 第二突厥 | 復活からオルホン碑文、ウイグルへの交代まで |
突厥の歴史は、一つの民族の物語ではありません。匈奴(きょうど)→鮮卑(せんぴ)→柔然→突厥→ウイグルと、草原の支配者が次々に交代していく大きな歴史の流れの一部です。
まずはストーリーを読み進めながら、「鍛冶を担っていた部族」がどのようにしてユーラシアを代表する大帝国へ成長したのか、その壮大な歴史を体験してみましょう。
突厥とは?鍛冶集団から世界帝国へ成長した遊牧民族
ストーリーでは、柔然(じゅうぜん)の支配下で鍛冶を担っていた部族が、やがて草原最大の帝国を築くまでの歴史をたどりました。
突厥(とっけつ)は552年、**ブミン可汗(かがん)**によって建国された遊牧国家です。柔然の支配から独立したあと、短期間でモンゴル高原を統一し、さらに中央アジアへ勢力を広げました。
突厥がここまで発展できた理由は、強力な騎馬軍団だけではありません。東西を結ぶシルクロードを支配したことで、交易による富を手に入れたことも大きな要因でした。
また、突厥は中国だけではなく、西アジアのササン朝ペルシアやビザンツ帝国とも関わりを持ちました。遊牧民族でありながら、ユーラシア全体に影響を与えた世界帝国だったことが、突厥最大の特徴です。
突厥が世界史で重要な理由
突厥は、単に草原を支配した民族というだけではありません。
受験では、「中国王朝と戦った遊牧民族」として覚えがちですが、実際には東アジアから中央アジア、西アジアまで広がる広大な地域で活動していました。
特に重要なのがシルクロードです。
シルクロードには、中国の絹や陶磁器、西アジアの宝石や香辛料など、多くの商品が運ばれていました。
突厥はその交易路を支配したことで大きな利益を得るとともに、ササン朝ペルシアと対立し、共通の敵を持つビザンツ帝国と同盟を結びます。
「敵の敵は味方」という関係で結ばれたこの同盟は、遊牧国家が中国だけではなく世界全体の政治にも関わっていたことを示す代表的な出来事です。
東西突厥への分裂と唐との戦い
巨大な帝国となった突厥ですが、永遠に繁栄が続いたわけではありません。
東はモンゴル高原、西は中央アジアまで広がる領土はあまりにも広大で、一人の可汗がすべてを統治することは簡単ではありませんでした。
さらに、可汗が亡くなるたびに後継者争いが起こり、583年には東突厥と西突厥に分かれます。
| 東突厥 | 西突厥 |
|---|---|
| 中国との関係が中心 | 中央アジアとの関係が中心 |
| 隋・唐と対立 | シルクロード交易で繁栄 |
東突厥は、中国を統一した唐と激しく対立しました。
630年、唐の**太宗(たいそう)**によって東突厥は滅ぼされます。
しかし、ここで突厥の歴史が終わるわけではありません。
多くの突厥人は唐に仕え、騎馬戦術や草原文化も唐へ受け継がれていきました。
さらに、太宗は遊牧民族から**天可汗(てんかがん)**と呼ばれるようになります。
これは、中国皇帝でありながら、草原世界の君主としても認められたことを意味しています。
第二突厥からウイグルへ受け継がれる歴史
東突厥が滅んだあとも、草原では独立を望む人々が活動を続けていました。
682年には第二突厥が建国され、遊牧国家は再び復活します。
第二突厥の歴史を現在まで伝えているのが、モンゴルのオルホン川流域に建てられた**オルホン碑文(ひぶん)**です。
この石碑には、第二突厥の王たちの功績や当時の出来事が刻まれており、現在でも突厥史を知る重要な史料として研究されています。
しかし、第二突厥も永遠には続きませんでした。
744年、第二突厥はウイグルによって滅ぼされ、草原の支配者は再び交代します。
こうして草原では、
匈奴 → 鮮卑 → 柔然 → 突厥 → ウイグル
というように、支配する民族が変わりながらも、文化や制度、そして歴史は次の民族へ受け継がれていきました。
この「歴史はつながっている」という流れを理解すると、中国北方民族の歴史を一つの物語として覚えやすくなります。

