まずはストーリーでウイグル帝国の歴史を体験しよう
ウイグル帝国は744年にモンゴル高原で建国され、安史の乱で唐を救い、シルクロード交易で大きく繁栄した遊牧国家です。
しかし、ウイグルの歴史は年号だけでは覚えにくく、「安史の乱」「ソグド人」「マニ教」「840年の滅亡」がばらばらに感じてしまう人も少なくありません。
そこでまずは、ゲーム形式のストーリーでウイグル帝国の歴史を体験してみましょう。
ストーリーを楽しんだ後に本文を読むと、それぞれの出来事が自然につながり、世界史がぐっと理解しやすくなります。
ウイグルとは?遊牧国家であり交易国家でもあった
ウイグル帝国は、744年にモンゴル高原で建国された遊牧国家です。
遊牧民族というと、「馬に乗って戦う民族」という印象を持つ人も多いでしょう。もちろん、ウイグルも優れた騎馬民族でした。しかし、それだけではありません。
ウイグル帝国が歴史に名を残した理由は、シルクロード交易を支えたことにあります。
モンゴル高原は、中国と中央アジアを結ぶ交通の要所でした。その地理的な利点を生かし、東西を行き交う商人を保護しながら交易を発展させたことで、遊牧国家でありながら世界有数の豊かな国へと成長していきます。
教科書では「回鶻(かいこつ)」や「回紇(かいこつ)」という名前で登場することもあります。どちらもウイグル帝国を指す名称であり、中国王朝の時代によって使われる漢字が異なります。
744年にウイグル帝国が建国された
世界史では744年という年号を覚えておきましょう。
この年、ウイグルは第二突厥を倒し、新たな遊牧国家としてモンゴル高原を支配しました。
第二突厥はかつて草原最大の国家でしたが、内部対立や周辺民族との戦いによって徐々に弱体化していました。その機会を逃さず、ウイグルは各部族をまとめ、新しい国家を築いたのです。
国家の中心には**可汗(かがん)**がいました。
可汗とは遊牧国家における最高君主であり、中国でいう皇帝にあたる存在です。
可汗のもとで草原の部族がまとまり、ウイグル帝国は急速に勢力を広げていきました。
安史の乱で唐を救ったウイグル
ウイグル帝国が一気に繁栄するきっかけとなった出来事が、安史の乱です。
755年、唐では節度使だった安禄山が反乱を起こしました。
世界最大級の帝国だった唐は大混乱に陥り、都の長安も反乱軍によって占領されます。
唐だけでは反乱を鎮圧できなくなった皇帝は、友好関係にあったウイグルへ援軍を求めました。
そこで軍を率いたのが、**懐仁可汗(かいじんかがん)**です。
ウイグル騎兵は圧倒的な機動力を生かし、唐軍と協力して反乱軍を撃退しました。
この活躍によって長安と洛陽は奪還され、唐は滅亡の危機を免れます。
唐が支払ったのは大量の絹だった
ウイグル軍は無償で戦ったわけではありません。
唐は援軍への見返りとして、大量の絹を支払いました。
絹は当時の世界では非常に価値が高く、金や銀に匹敵するほどの重要な交易品でした。
ウイグルは受け取った絹をそのまま保管するのではなく、シルクロードを通じて中央アジアや西アジアへ運び、さらに大きな利益を得るようになります。
つまり、安史の乱は単なる戦争ではなく、ウイグル帝国が交易国家として飛躍する転機でもあったのです。
テント暮らしなのに世界一のお金持ちになれた理由
遊牧民は都市を持たず、天幕で生活していました。
そのため、一見すると豊かな生活とは結び付かないように思えるかもしれません。
しかし、実際にはウイグル帝国は当時の世界でも有数の富を持つ国家へと成長しました。
最大の理由は、シルクロード交易を支配したことです。
東の中国からは絹や陶磁器、西方からは銀器やガラス製品、香辛料などが運ばれてきました。
ウイグルはその中継地点を押さえ、安全な交易を維持することで莫大な利益を得ていたのです。
遊牧民だから貧しいというイメージは、ウイグル帝国には当てはまりません。
むしろ、家畜と交易を組み合わせることで世界屈指の豊かさを実現した国家だったといえるでしょう。

